予備試験や新司法試験の勉強法でつまずいている原因は灯台下暗し


20代

勉強法で悩んでいるあなたは何をすれば良いか?常に先を見て進んでいるのではありませんか。中学受験、高校受験、大学受験。今まで私たちが学んできた学校とは、何を学ぶ場所だったのでしょうか?学校とは、教科書では教えてくれないことがたくさん学ぶことができる場所だったのです。ただ成績が良いから優秀ではなく、教科書からは学べないことが実体験できる場所が学校です。しかし、勉強をしなければ先には勧めないのも学校です。日本が民主主義国である限り、教育がなくなることはありません。義務教育とは洗脳です。今大学受験や司法試験を目指して勉強して息詰まっている方は、なぜ今までもう勉強してきたのにこんなところで壁にぶち当たってしまっているのか?考えても考えても答えが出てこない状況になっているのではありませんか?友達に相談することもできずに、ネットで調べることしかできないプライドを捨てきれずにいませんか?ネットというのは教科書に載っていることを人がわかりやすく解説しているだけですので、あなたの悩みが解決することは難しいかもしれません。灯台下暗しという言葉を聞いて「はいはい」と追っていると思いますが、私の友人は、中学生時代「灯台下暗しは、東京大学の元で暮らすことだ」と言っていました。ふざけてるのかと思いましたが、本気で言っていました。しかし、その彼は恥ずかしがることもなく、いつも笑って周りの友達にも好かれていて馬鹿にされることなどなかったのです。ものすごくまっすぐな友人でしたので、周りに色々相談されていました。彼は成績は良くはありませんでしたが、中学2年生の時から何かに気づいたらしく、突然勉強ができるようになり、今は司法に携わるお仕事をしています。彼に変わった理由を聞いていると、「灯台下暗しだよ」としか言いません。「俺は人に物を教えることなどできない。学校で学んだことしかしてきてない。」といつも答えます。そして「今の仕事で人の悩みを解決することに役立ってる。」と言っています。そんな彼が私たちに「この本いいこと書いてあるから読んでみな‼︎」と紹介してくれたのがこちらの本でした。



「この本を読んで基本しか書いてない何にも役に立たないと思う奴は一生勉強法がわからないかもね」この本には先ばかり見るのではなく、今目の前のことをこなす。その一番大事なところを見ずにいることで、壁にぶちあたるということかと思った。灯台下暗しは、難しい勉強をしているうちに、基本を忘れているというか、基本を除外視してしまうことなのかとも考えた。家を作るにも地盤がしっかりしていなくては上物がいくら良くても傾きます。彼が答えや勉強法を教えてくれないのは決して意地悪や、自分より上に行かれたく無いとか承認欲求からくることではなく、現実を自分の目で確かめて、自分自身で気づくことに意味があるということだったのではないか?と思った。我々賞罰教育を受けてきた人間は、承認欲求に侵されている。何かをするたびに周りの意見に流され、周りの人にすごいと褒められたくて人の人生を生きているような気がする。その必要がないというのが彼の答えのような気がした。これは教科書では教えてくれないことであり、学校という場で自分自身で学ぶべきことだと、40代にして気付かされた。今東大や司法試験、予備試験の勉強法で悩んでいるあなたは、私の親友が教えてくれた本を読んでみる価値があると思います。読むか読まないかはあなた次第。読んで価値がないと思うのもあなた次第、読んで気づくことができるのもあなた次第。

 

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